拾日記

雑学と教養の狭間を彷徨う

Why Japanese people! -「日本辺境論」

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「日本人は文化的劣等感をもっていて、ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられる。」

著者(内田樹)は「日本辺境論」の中で、「文明の生態史」(梅棹忠夫)を引き合いに、日本人の本質を、こう言い表す。

 

 「辺境」というのは、「中華」に対するもので、「日本の外に中心があって、その中心との関係で物事を考える」のが日本人ということになる。そのため、日本人は、常に正しいものを外部に求め、それをある種無条件に受け入れる形で変化するので、一見、普遍的なアイデンティティがないように見えるが、そのように変化すること自体が一貫して「変化していない」ということは、それこそが日本人のアイデンティティであると。そして、外からくるものをどのように変えるか、という仕方の中に日本文化があるとする。丸山眞男さんは、それを愛嬌たっぷりに「きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める」と表現している。

「外国のブランドや流行が大好きな日本人」「世界ランキングに一喜一憂する日本人」

まさに、辺境人たる日本人のメンタリティということか。

 

また、こうした日本人の辺境性は、自己のアイデンティティよりも場の親密性を優先する性向にもつながっている。自分にとって何が正しいかというより、その場の権力者といかにお近づきになるかを重視してしまう。

場の「空気」を読むのも日本人ならではかもしれない。その場の雰囲気から、「そうせざるを得なかった」「言わざるを得なかった」と口を合わせるかのように弁明してしまう。

 

さて、改良したりキャッチアップすることは得意だが、先駆者となり新しいコンセプトを生み出すとなると、途端に思考停止に陥る日本人。 それは、日本人が基本的に「弟子」の立場にあると言い換えることもできよう。

辺境人である日本人は、基本的に無知で未熟だ。そのため、正しく導いてくれる師匠の存在が不可欠。日本人は「〇〇道」がお好きだが、そのビジネスモデルの重要な要素となるのが、師弟関係。真理を悟っている・あるいはかねて追求している師匠に対し、無知な弟子は師匠を評価したり比較するといったことは許されない。そして一度、師弟関係が成立すれば、師が教える直接的なコンテンツはさておき、師弟関係によって生じるあらゆる事象が、何か意味があるに違いないと、学びの対象となっていく。

 

そんな迷える子羊のような日本人ですが、内田樹さんは、とってもポジティブ。それでいいじゃないかと。

思想的に依って立つアイデンティティがなくたって、「だって日本人だもん」って割り切って、世の中を生き抜いていけば良いのでは。最先端なことも伝統的なことも柔軟に取り込んで「和風」に仕立てていけば良い。ラーメンだって、カレーだって、元々は中国やインドのものだけど、国民食といっていいほど日本流にアレンジして、今や世界的にも和食として受け入れられるようになってきた。

その場の空気を読んで「和をもって貴となす」精神が役に立つことだってあるはず。オリンピック誘致でキャッチフレーズとなった「おもてなし」だって、日本人の辺境性故のものと考えることもできる。個の時代と言われる中にあって、世界的には結構貴重なメンタリティになるのではないか。

 

「Why Japanese People!」というネタもあるが、日本人というの味わい深い。

 

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